新興宗教を責められない
- 2009/09/01
- 02:22
例え人の弱みに付け込もうとも、
例えどれだけ多くの害を与えようとも、
精霊崇拝でもカルトでも、最早なんでも、
俺はもう責めることはできないかもしれない。
だって宗教は現実に疲れきった人間の最後の逃げ場じゃないか。
仲間ができない人間や、
選ばれない人間や、
可能性がない人間を受け入れる器じゃないか。
俺は別に宗教を必要としてないんだけど、
宗教を必要としている人間を責めることはできないよ。
むしろその功績を認めなければいけないかもしれないよ。
ため息とストレスで構築されているような世の中を、
毎日毎日いやになるほど目の当たりにしてるんだもの。
例えばさあ、幸福実現党とか公明党とかで信者がたくさん選挙動員されてるじゃない?
馬鹿みたいなのが駅にいっぱい集まって無償で労働力を提供してるけど、
じゃあ家でひとりぼっちのやつと比較しても無様かというとそうじゃないだろ。
仲間と一緒に不謹慎なお祭り騒ぎしてる方が、
家に一人でいるより余程楽しいかもしれないよ。
それが傍から見て馬鹿みたいでも、社会的に迷惑かけていてもさ。
確かに宗教を踏み台にして信者を騙すやつもいる。
そして騙される信者がいることも事実だ。
でも俺はまあいいんじゃないかと思うよ。
訴えたくなったら訴えたいやつは法に基づいて訴えたらいいじゃん。
もしくは騙した相手をぶっ殺せばいいと思う。
究極的に所詮は本人の問題だよ。
子供が騙されてるなら政治が介入したほうがいいけど。
結果に責任を取るのが大人なんだからさ。
だいたい、世の中に宗教に匹敵するぐらいの救いがどれほどあるというのだ?
愛情とか深い友情は間違いなく大きな救いだろう。
だけどそんなもんに恵まれている人間は少数だし、
それが死ぬまで持続する人間となるとおそらく一人もいやしない。
宗教とは何か?共同幻想以外の何物でもない。
現実をすこし超えた所にある、決して真実ではない妄想の塊。
でもそんな塊を必要とする人間がいるぐらいに、世の中は救いがないってことだ。
何もない人間に何はなくてもとりあえずのその場しのぎを与えてくれる。
ギリギリで生きている人間に逃げ場を与えてくれる。
まあ逃げ場というか、墓場かもしれないけど。
とりあえず、日常がこの一種類しかないっていう現実から目をそらすことが出来るのさ。
人間が耐えられないほどの現実がある。
それを薄める宗教がある。
それだけで存在価値は十分にあるだろう。
一番の問題はこの社会なんだけど、誰にも誰が悪いのかはわからない。
持て余した憎悪はやがて諦念に変わる。
諦念は渇望に変わるかもしれない。
その渇きに泥水でもいい、潤いを与えられるのなら、
俺はもう宗教を責められない。責められないよ。
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例えどれだけ多くの害を与えようとも、
精霊崇拝でもカルトでも、最早なんでも、
俺はもう責めることはできないかもしれない。
だって宗教は現実に疲れきった人間の最後の逃げ場じゃないか。
仲間ができない人間や、
選ばれない人間や、
可能性がない人間を受け入れる器じゃないか。
俺は別に宗教を必要としてないんだけど、
宗教を必要としている人間を責めることはできないよ。
むしろその功績を認めなければいけないかもしれないよ。
ため息とストレスで構築されているような世の中を、
毎日毎日いやになるほど目の当たりにしてるんだもの。
例えばさあ、幸福実現党とか公明党とかで信者がたくさん選挙動員されてるじゃない?
馬鹿みたいなのが駅にいっぱい集まって無償で労働力を提供してるけど、
じゃあ家でひとりぼっちのやつと比較しても無様かというとそうじゃないだろ。
仲間と一緒に不謹慎なお祭り騒ぎしてる方が、
家に一人でいるより余程楽しいかもしれないよ。
それが傍から見て馬鹿みたいでも、社会的に迷惑かけていてもさ。
確かに宗教を踏み台にして信者を騙すやつもいる。
そして騙される信者がいることも事実だ。
でも俺はまあいいんじゃないかと思うよ。
訴えたくなったら訴えたいやつは法に基づいて訴えたらいいじゃん。
もしくは騙した相手をぶっ殺せばいいと思う。
究極的に所詮は本人の問題だよ。
子供が騙されてるなら政治が介入したほうがいいけど。
結果に責任を取るのが大人なんだからさ。
だいたい、世の中に宗教に匹敵するぐらいの救いがどれほどあるというのだ?
愛情とか深い友情は間違いなく大きな救いだろう。
だけどそんなもんに恵まれている人間は少数だし、
それが死ぬまで持続する人間となるとおそらく一人もいやしない。
宗教とは何か?共同幻想以外の何物でもない。
現実をすこし超えた所にある、決して真実ではない妄想の塊。
でもそんな塊を必要とする人間がいるぐらいに、世の中は救いがないってことだ。
何もない人間に何はなくてもとりあえずのその場しのぎを与えてくれる。
ギリギリで生きている人間に逃げ場を与えてくれる。
まあ逃げ場というか、墓場かもしれないけど。
とりあえず、日常がこの一種類しかないっていう現実から目をそらすことが出来るのさ。
人間が耐えられないほどの現実がある。
それを薄める宗教がある。
それだけで存在価値は十分にあるだろう。
一番の問題はこの社会なんだけど、誰にも誰が悪いのかはわからない。
持て余した憎悪はやがて諦念に変わる。
諦念は渇望に変わるかもしれない。
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